2011/02/28

スニーカー居酒屋紀行1

スニーカーを語るのに、場所や時間は問わない。
そこが、昼間の公園であっても、モデルルームであっても、深夜のファミレスであっても、コンビニであっても。

故に居酒屋でコンコンと人生を説く白髪の見知らぬ先輩の隣でスニーカーの話題で盛り上がっていることも世の常である。




本日の友人

チャラっとした美容師(25)

本日のスニーカー CONS SKATE PAPPALARDO

彼とは幼馴染みで遡れば学校に通っていた時履いていたスニーカーも覚えている。同じようにおそらく何十人かの履いていたスニーカーを私は記憶している。
彼がバスケ部で着用していたのは、AIR FORCE 1、AIR JORDAN 1と当時のバスケ部としては邪道な(?)アナログバッシュを使用していた。のちにPIPPEN 2になる。
その時のこだわりは、プラスチックの小さなスウッシュのAF1しか履きたくないというもので彼なりの若きポリシーがあったという。
スニーカーの話になると中学の話が主体になる、おそらく私達のターニングポイントはそこにあったのだと思う。AF1派とPRESTO派に別れ、第参軍としてのFOOTSCAPE、ZOOM HAVEN、AIR RIFTがありSHOXが発売された10数年前、のちにDUNKという大きな波にのまれることを気付かずにひたすらバッシュやランニングシューズで昼休みのサッカーに熱中していたころの話である。

今日の居酒屋は、オールドスクールな佇まいながら、20代前半のお姉さんが1人で切り盛りしている焼き鳥屋さん。
お姉さんの愛想の良い口調と怪訝そうなリアクション、前のテーブルにまで降り注ぐコショウの振り方や壁に掲げられた誤字脱字上等なメニューと、至る所いちいちヤラれちまう酒場。
帰り頃には、その強めの塩加減で舌が麻痺してしまい、何本かはタレを頼むべきだったと…次回はタレを頼もうと、その酒場の虜になってしまっている。